高橋新五郎遺跡(市指定文化財)

ページ番号1003474  更新日 令和1年11月23日

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所在地:蕨市塚越3-2

写真1
高橋新五郎遺跡

市指定文化財

江戸時代末期から蕨では塚越村を中心に、綿織物業が盛んになりました。
特に、蕨の綿織物業の発展に貢献した塚越村の高橋家5代目新五郎とその妻いせは、「機神様(はたがみさま)」として、塚越稲荷社境内にある「機神社」に祀られ、織物業の繁盛を願う人々の信仰を集めました。

「機神社」前の鳥居〔嘉永5年(1852)建立〕には、「機屋繁栄」の文字が刻まれ、その信仰の深さを物語っています。

現在、蕨西口駅前通りで毎年8月に「機まつり」が行なわれていますが、この「機神社」に、織物業の繁栄を願って8月7日〔高橋新五郎が織物業を始めた日と伝わる〕にお参りする行事が本来の「機まつり」で、現在も行なわれています。

木造高橋新五郎夫妻座像(もくぞうたかはししんごろうふさいざぞう) 市指定文化財

この像は、蕨の綿織物業の発展に貢献し、「機神様(はたがみさま)」とされた高橋新五郎夫妻の座像で、「機神社」の神像として、社殿内に収められています。

木造高橋新五郎座像は、台座上に座し、狩衣に烏帽子、濃緑の衣に家紋「竹に菅笠」が金色で描かれています。前面に反物を二重ね積み、染めや模様も彩色で表現されています。

木造同夫人座像は、台座上に正坐し、朱色の着物に藍色の羽織、帯を前に締め垂らしています。ザグリ(座繰)とフワリという糸取の道具を操作している姿で、ザグリとフワリは動く造りになっており、実際に藍色の木綿糸が巻かれています。

この2躯の神像の制作年は明らかではありませんが、積まれた反物の柄などから、明治時代初期の作と推定されます。

〔※一般公開はしていません〕

写真:座像1
木造高橋新五郎座像
写真:座像2
木造高橋新五郎夫人座像

木造徳川家康座像(もくぞうとくがわいえやすざぞう) 市指定文化財

写真:家康座像

この像は、「機神社」の前身である「関東大権現社(別称 吾妻社)」の神像でした。
現在は「機神社」の神像として、木造高橋新五郎夫妻座像と共に社殿内に収められています。

三つ葉葵紋の入る光石の台座上に座し、衣冠束帯姿の像で、瞳は玉眼の造りとなっています。

制作年代は明らかではありませんが、「関東大権現社」が宝永5年(1708)までに勧請されたこと、また、同社へ授与された幣帛が享保8年(1723)のものであり、幣帛より神像が先に存在するであろうことから、江戸時代中期頃の作と推定されます。

〔※一般公開はしていません〕

幣帛(へいはく) 市指定文化財

写真:木箱に入っている幣帛

この幣帛は、紙の幣が付くもので、木箱に3本収められています。また、葉が付いたままの榊の枝が添えられています。

木箱の蓋の表に「武州足立郡塚越村関東大権現幣帛」、蓋裏に「享保八年正月十四日神祇管領兼敬」と墨書銘があり、享保8年(1723)に神祇管領の卜部兼敬から、「機神社」の前身である「関東大権現社(別称 吾妻社)」へ授与されたものであることがわかります。

この時代の幣帛、そして葉が付いたままの榊の枝が現存することは、非常に珍しく、貴重な資料です。

〔※一般公開はしていません〕

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