和楽備神社

ページ番号1003467  更新日 令和4年1月13日

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所在地:蕨市中央4-20

写真:神社外観
和楽備神社

和楽備(わらび)神社の名称は、明治44年(1911)に蕨町内にあった18の鎮守社を合祀(ごうし)した際に名付けられました。
合祀以前は、「上の宮」と呼ばれた「八幡社」が鎮座し、蕨を所領とした渋川氏が蕨城の守護神として勧請したと伝えられています。
祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)・素盞鳴命(すさのおのみこと)・木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)他。

例大祭は毎年10月15日で、各町会から神輿が繰り出し盛大に行なわれています。〔現在は、10月15日前後の日曜に行なわれています〕
また、12月17日には「酉の市」が行なわれ、縁起物の熊手を売る店が立ち並び、多くの人々で賑わいます。

木造八幡騎馬像(もくぞうはちまんきばぞう) 市指定文化財

写真:木造八幡騎馬像

和楽備神社本殿にあるこの像は、和楽備神社のご神体です。もとは同社の前身である「八幡社」のご神体でした。
像は、寄木造、岩座上の白馬に騎乗する束帯(そくたい)姿の彩色された八幡像で、写実性に富み、造形的にも大変すぐれています。

〔※一般公開はしていません〕

木造僧形八幡立像(もくぞうそうぎょうはちまんりつぞう) 市指定文化財

写真:木造僧形八幡立像

和楽備神社本殿にあるこの像は、同社の前身である「八幡社」のご神体でした。

像の頭・体の幹部は4枚の板を重ねた造りで、全体が彩色されています。また、着衣の上に袈裟(けさ)をまとい、頭部は剃髪(ていはつ)とし、僧形八幡の形式を示しています。

この神像の胎内と台座には、天正11年(1583)の墨書銘があり、蕨城の一角を占める「八幡社」に安置されていたことから、蕨城との関係が推測されます。

〔※一般公開はしていません〕

水盤(すいばん) 市指定文化財

写真:水盤

この水盤は、和楽備神社正面の鳥居左側の水屋内に置かれています。

安山岩製で、もとは東京上野の寛永寺にあったものだといわれています。大型で四隅を入隅式とし、
水穴も外形に合わせて成形するなどの様式から、江戸時代初期の製作と思われます。

宝篋印塔〈享和元年銘〉(ほうきょういんとう) 市指定文化財

写真:宝篋印塔

和楽備神社境内にあるこの石塔は、享和元年(1801)、蕨宿の町田氏が敷石供養のために造立したもので、基礎には「麒麟(きりん)」「飛天(ひてん)」などが線刻されています。

もとは、三学院の末寺で「八幡社」の別当を務めていた成就院(じょうじゅいん)にあったものですが、明治4年(1871)の成就院の廃寺にともない現在地に移されました。

天神社本殿(てんじんしゃほんでん) 市指定文化財

写真:天神社

天神社本殿は、和楽備神社境内に鎮座しています。

一間社流造り、屋根はこけら葺き形銅版葺き、蟇股(かえるまた:社寺建築で荷重を支えるための部材)や長押(なげし:柱と柱をつなぐ水平材)の形などから、江戸時代前期の建築物だと思われます。

稲荷社本殿(いなりしゃほんでん) 市指定文化財

写真:稲荷社

稲荷社本殿は、和楽備神社境内に鎮座しています。

和楽備神社の前身である八幡社の本殿であったものを、末社稲荷社本殿とし、現在地に移転したものです。一間社流造り、屋根はこけら葺き形銅版葺き、蟇股(かえるまた:社寺建築で荷重を支えるための部材)、肘木の絵様などから、江戸時代中期の建築物だと思われます。

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