歴史と文化が薫るまち蕨
中山道の宿場町として栄えた蕨
江戸日本橋から二番目の宿場として、栄えた中山道蕨宿。諸説ありますが、開設時期は慶長17年(1612年)といわれ、開設から400年以上たっています。今の中山道本町通りの約1キロメートルにわたり、大名や公家などが宿泊する本陣が2軒、家臣などが利用する脇本陣1軒、庶民の宿泊所であった旅籠が23軒あり、にぎわいを見せていました。現在も歴史ある建物が点在していて、当時の面影を楽しむことができます。
宿場町の歴史を今に伝える宿場まつり(毎年11月3日)
中山道の宿場町として栄えた、その歴史を今に伝えているのが、毎年11月3日に開催される宿場まつりです。中山道界隈に住む皆さんの「蕨の歴史や文化を後世につなげたい」との思いから、昭和58年に始まり、今では市の大きなお祭りとして発展してきました。メインイベントの織姫道中大行列は、その年に20歳になる女性の中から選ばれたミス織姫と宿場小町が祭りを華やかに彩ります。
織物のまちとして栄えた蕨
江戸から昭和にかけて、織物の生産地として名をはせた蕨。その産業に多くの人が関わり、まちの経済の礎を築いてきました。
織物に関する歴史
文政9年(1826年)7月7日、信仰していた関東大権現(徳川家康)の夢のお告げで機屋を始めた高橋新五郎。考案した青縞が江戸で評判となり、蕨の織物業が発展する礎を築きました。その後、高橋家は2本の洋糸を絡ませて布を織る「二タ子織」を始めたところ、評判となり、蕨の織物は飛躍的に発展。明治に入ると、規格化された双子織は商人の着物として販売され、素朴な風合いとつややかな質感などが評判を呼びました。
織物業の繁栄祈願から始まった機まつり(毎年8月上旬)
新五郎の功績をたたえて、妻・いせとともに、機神様として祭られ、いつの頃からか、七夕に同業者が集まって、機神様に織物業の繁栄を祈願するようになりました。これが機まつりの起こりだといわれています。
その後、昭和26年、ときの高橋庄次郎町長や織物組合、商工会議所などが中心となり、機織りで栄えた歴史を伝えるとともに、町全体の産業の発展を願い、第1回目の機まつりが開催されました。昭和28年には、七夕装飾コンクールを実施。昭和30年からは、8月7日を中心に開催するようになり、現在まで、機織りのまちの伝統を引き継いでいます。
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