第1話 蕨の生い立ち

ページ番号1005060  更新日 令和2年1月10日

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わらびの地名は、隣村の芝や笹目などの地名と同じく、草木の名をつけた蕨と、台地から藁をたく火を見て、藁火村と名付けたのが蕨村になまったという説があります。歴史上の文献はすべて、蕨を用いています。まちらしくなったのは江戸時代で、慶長17年に蕨宿が開かれ、中山道第二駅の宿場町として発展しました。明治維新とともに、宿駅制度は撤廃され、明治22年に塚越村と合併して蕨町がスタートしました。そして、昭和34年4月1日、今の蕨市が誕生し、昭和49年で15年目を迎えます。昭和49年4月号掲載

昔の写真
昔 江戸時代の道中記「岐蘇路安見絵図」の蕨宿
今の写真
今 昭和33年に撮影された中山道付近

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