第5話 機まつりの起こり
蕨で月遅れの七夕「機まつり」が始まったのは、戦後経済の大混乱のまだ収まらない昭和26年のことでした。その起源は、塚越村の高橋新五郎(1791年~1857年)が、木綿糸商を営んでいた父が足利や青梅に往来して、機業の大事なことを感じていたときからです。嘉永3年(1850年)の木版刷り史料によると、高橋新五郎は、文政9年(1826年)七夕の夜、日ごろ信心していた関東大権現(徳川家康)の霊夢を、夫婦ともに見て、機業を決意したといいます。青縞(盲縞とも紺木綿ともいい法被や股引にした)の丈や長さを一定にして、染織法にも工夫を凝らしたので、ついには、綿織物の大生産地帯が形成され、そして、機神様としてまつられるようになったのでした。 昭和49年8月号掲載
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