第5話 機まつりの起こり

ページ番号1005047  更新日 令和2年1月10日

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蕨で月遅れの七夕「機まつり」が始まったのは、戦後経済の大混乱のまだ収まらない昭和26年のことでした。その起源は、塚越村の高橋新五郎(1791年~1857年)が、木綿糸商を営んでいた父が足利や青梅に往来して、機業の大事なことを感じていたときからです。嘉永3年(1850年)の木版刷り史料によると、高橋新五郎は、文政9年(1826年)七夕の夜、日ごろ信心していた関東大権現(徳川家康)の霊夢を、夫婦ともに見て、機業を決意したといいます。青縞(盲縞とも紺木綿ともいい法被や股引にした)の丈や長さを一定にして、染織法にも工夫を凝らしたので、ついには、綿織物の大生産地帯が形成され、そして、機神様としてまつられるようになったのでした。 昭和49年8月号掲載

昔の写真
昔 塚越村の機屋が機神社に参けいする様子の絵馬
今の写真
今 明治から今でも続く機神社での機まつり式典。
昭和26年からお祭りは駅西口駅前通りで開催

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