特設ページ 絵師・河鍋暁斎

ページ番号1002255  更新日 令和2年7月22日

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写真1
「猫を捕まえる鼠」

蕨市は、平成27年8月26日に、公益財団法人河鍋暁斎記念美術館と連携協定を結びました。
これは、美術や生涯学習、まちづくりなどで、河鍋暁斎記念美術館と連携を図りながら、暁斎によるまちづくりを進めていこうというものです。
まちのたいせつな地域資源である河鍋暁斎記念美術館。このページでは、そんな河鍋暁斎の魅力に触れてみたいと思います。

蕨市のふるさと納税の返礼品に河鍋暁斎グッズ、「文読む美人」シルクスクリーンと扇子&トートバッグを追加しました。

写真2:ふるさと納税の返礼品1
「文読む美人」シルクスクリーン
写真3:ふるさと納税の返礼品2
扇子&トートバッグ

魅力 天才絵師が描く世界

皆さんは、河鍋暁斎という絵師をご存知ですか。
暁斎は、江戸幕末から明治にかけて活躍しました。当時、実力・人気はあったにも関わらず、没後は日本の美術史上からその名が消えた時代が続きました。
その理由の一つには、どこにも属すことができない絵師ということがあるのではないでしょうか。

葛飾北斎といえば浮世絵師とだれもが納得できます。
しかし、暁斎は浮世絵師や狩野派絵師など、さまざまな顔をもっているので、「扱いづらい」、そんなことも影響していたのではないかと思います。
もちろん、現在では、美術史にその名が戻っています。
河鍋家には、代々、暁斎が描いた作品が残っていて、曾孫にあたる河鍋楠美さんが、暁斎を広く知っていただきたいとの思いで、昭和52年に河鍋暁斎記念館を造りました。
以来、精力的な活動のなかで、たぐいまれなる才能を持った暁斎は、脚光を浴びるようになりました。

暁斎の魅力は、なんといっても、伝統技術を駆使した仏画や美人画、妖怪や骸骨が踊るユーモラスな戯画、春画など、あらゆるものを描けるその画力にあります。緻密さや豊かな表情、風刺など、どの作品も魅力的です。

写真4
「鳥獣戯画[1]猫又と狸」
写真5
暁斎楽画第九号 「地獄太夫」

習得 浮世絵や狩野派の技法

暁斎は、数え7歳で、浮世絵師の歌川国芳に入門しました。
国芳は幕末を代表する浮世絵師の一人で、猫好きで有名で、作品にも猫を多く描いています。
一方、暁斎の作品に多く登場するのはかえる。2歳のときに初めて描いたのもかえるでした。

話はそれましたが、師匠である国芳の教えは、絵を描くために、人々の動きや表情などをよく観察することでした。
暁斎はこのことを忠実に実行するため、一日中、貧乏長屋を徘徊して喧嘩や口論をしている人たちを探し歩いたといいます。
神田川で拾った生首も写生し、周囲を驚かせた逸話は有名です。

そんな熱心に絵を学ぶ暁斎でしたが、国芳の評判が悪いことを心配した暁斎の父は、暁斎を狩野派・前村洞和のところに再入門させました。
通常、狩野派の修業は12年のところを、9年でその技法を習得するなど天才ぶりを発揮。
これに留まらず、さまざまな画流を学び、それを確実に自分のものにしていきました。

写真6
「蛙の人力車と郵便夫」
写真7
「蛇を捕まえる蛙」

戯画 幕府衰退と狂斎の時代

幕府の専従絵師である狩野派の絵師たちは、幕府の衰退とともに、絵師として生きることは難しくなってきました。
そのため、力のない者は、先祖の資産の切り売りをしたり、転職したりする絵師もいたようです。

最後の狩野派の一人である暁斎は、生計をたてるために、「狂斎」と名乗って、浮世絵を描き、戯画や風刺画で有名になりました。
特に風刺精神が旺盛だった暁斎の戯画は、たいへん人気を博しましたが、明治維新前後、政府を批判した戯画がもとで捕えられてしまいました。
翌年、釈放され、名前を「狂斎」から「暁斎」に変えています。

写真8
暁斎楽画第三号
「化々学校」
写真9
「名鏡倭塊新板」
写真10
暁斎楽画第一号
「地獄の文明開化」

記録 ユーモア溢れる絵日記

暁斎は、幕末から絵日記をつけていて、それは、亡くなるまで、毎日欠かすことなく続けていたといわれますが、現在、4年間分に相当する量の絵日記しか発見されていません。
絵日記といえば1ページの上半分に絵、下は文章のイメージがありますが、暁斎のは、絵しか描かれていません。
来客の様子や祭り、法事など、その日にあったことを描いています。

観ていると思わず「くすっ」と笑えてしまうユーモアにあふれていて、暁斎は、ほんとうに絵を描くことが好きなんだと思ってしまいます。
そんな絵日記は、同時に、時代を映す貴重な資料であり、暁斎にとって、画技修業であり、絵を描くときのアイデア集であったのかもしれません。

写真11
「暁斎画日記」

写真12:暁斎画日記2

弟子 ジョサイア・コンドル

明治時代、日本は近代化に向けて、優れた技術を持つ外国人を雇いました。いわゆる明治のお雇い外国人です。
その内の一人が英国人建築家のジョサイア・コンドルで、鹿鳴館や三菱一号館などを手がけましたが、コンドルが残した真の功績は、人材育成です。
教え子たちは東京駅や日本銀行本館、赤坂の迎賓館などを設計しています。

そんな日本の建築界の基礎を作ったコンドルは日本文化に関心を持ち、日本画を学ぶために暁斎に弟子入りしました。
毎週、土曜の稽古に励むコンドルに、暁斎は「暁英」の画号を与えるなど、二人の親交は深くなっていきました。

実は、このコンドルが世界に暁斎を広めた立役者なのです。
コンドルは、暁斎没後23年目に暁斎の生涯とその画技を記した本を出版しました。その本は、欧米人に暁斎を知らせる一助となりました。

写真13
「鯉魚遊泳図」

画鬼 圧巻の新富座妖怪引幕

明治前期、東京を代表する劇場であった新富座に、暁斎も引幕を描いたことがあります。
友人の戯作者仮名垣魯文からの依頼を受けたもので、劇場の引幕だけに、縦4メートル、長さ17メートルと圧巻の大きさです。

当時の歌舞伎界を代表する役者を妖怪に見立てた個性あふれるこの作品は、酒を飲みながらわずか4時間で描き上げたもの。
画鬼・暁斎を再認識できる作品です。

いかがでしたか。絵師・河鍋暁斎をご紹介しましたが、暁斎の魅力は、ここでは紹介しきれないほどたくさんあります。
関心を持たれた方は、ぜひ、河鍋暁斎記念美術館に足を運んでみてはいかがですか。

動画アーカイブ

蕨市では、情報の発信としてケーブルテレビを活用した行政広報番組「ハローわらび」を制作しています。
同番組のコーナーの一つに「美術探訪」があり、年4~6回、河鍋暁斎記念美術館の特別展や企画展を制作していますが、今回、それらの放送をWEB上でもみられるようにしました。ぜひご覧ください。

令和2年7月10日~16日放送分

企画展「暁斎一門が描いた動物戯画」展 同時開催 特別展「第34回かえる」展

企画展では象や猪、狐、兎などの動物から、亀や蟹、蛙などの小さな生きものまで、暁斎や娘の暁翠が描いた様々な動物たちの戯画をご覧いただきます。
また第3展示室では、恒例の「第34回かえる」展を同時開催いたします。当館の夏の風物詩、かえる友の会会員の皆さんによる蛙グッズのコレクション展を併せてお楽しみください。

過去の放送分

令和2年5月15日~21日放送分

令和2年4月17日~23日放送分

 

令和2年3月13日~19日放送分

令和2年1月10日~16日放送分

 

令和元年11月8日~14日放送分

 

令和元年9月6日~12日放送分

 

令和元年7月5日~11日放送分

 

令和元年5月17日~5月23日放送分

平成31年3月8日~3月14日放送分

平成31年1月11日~1月17日放送分

過去の放送分 平成27年~平成30年

関連動画

平成29年2月4日に、川口市のSKIPシティ(川口市上青木3-12-63)で、『上映会とトークショー 幕末の絵師 河鍋暁斎』が開催されました。 第1部では、新作映画「天才絵師・河鍋暁斎 幕末に生まれし画鬼」を上映。第2部のトークショーでは、美術史家の安村敏信さんが暁斎の魅力や楽しみ方を話されました。 当日の模様は、SKIPシティの放送チャンネル(下記のリンク先)より御覧いただけます。

広報スクラップ

『広報蕨』の平成28年6月発行分より、紙面上で同館の展示作品を紹介することで河鍋暁斎の魅力をお伝えしています。ぜひご覧ください。

令和2年

令和元年

平成31年

過去の広報蕨 平成28年~平成30年

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〒335-8501 埼玉県蕨市中央5丁目14番15号
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