三学院

ページ番号1003478  更新日 令和4年12月21日

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所在地:蕨市北町3-2

写真:三学院外観
三学院

三学院は、京都の新義真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん)の末寺で、金亀山極楽寺(こんきさんごくらくじ)三学院といいます。
創立年代は不明ですが、本尊の木造十一面観音菩薩立像が平安時代後期の作であることや、他に現存する資料から中世以前の創建と考えられています。
天正19年(1591)には、徳川家康より、寺領20石を寄進する旨の朱印状が授与されており、以後徳川歴代将軍からも同様の朱印状が与えられています。

また、三学院は、足立坂東三十三箇寺の20番、北足立八十八箇所の30番にあたる札所としても知られています。

木造十一面観音菩薩立像(もくぞうじゅういちめんかんのんぼさつりつぞう) 市指定文化財

写真:木造十一面観音菩薩立像

三学院の本尊であるこの仏像は、像高約1.8メートル、一木造。怒り肩をしていることや、裳(もすそ)の魚の尾ひれ状の表現などから、平安時代後期の造立と考えられています。
なお、頭部と足先などは、江戸時代中期の後補で、享保10年(1725)の蕨宿の大火により、三学院が焼失したこととの関連が推測されています。

〔※秘仏のため一般公開はしていません〕

徳川将軍家朱印状(とくがわしょうぐんけしゅいんじょう) 市指定文化財

写真:12通の朱印状

三学院は、天正19年(1591)に徳川家康より寺領20石を寄進する旨の朱印状が授与されています。以後徳川歴代将軍からも同様の朱印状が与えられ、12通すべての朱印状が現存しています。

(なお、6代・7代・15代将軍の朱印状は、将軍在職期間の関係から発給されていません。)

〔※一般公開はしていませんが、歴史民俗資料館で徳川家康朱印状の複製品を展示しています〕

子育地蔵(こそだてじぞう) 市指定文化財

写真:子育て地蔵

三学院地蔵堂にあるこの地蔵尊は、元禄7年(1694)に三学院の住職であった秀鑁(しゅうばん)が中心となり造立された高さ約2.4メートルの石像立像仏です。

火伏せ・子育て・開運を願う人々から現在も信仰されており、毎月四の日には、地蔵の縁日が開かれています。

地蔵石仏(じぞうせきぶつ)<目疾地蔵> 市指定文化財

写真:地蔵石仏

三学院地蔵堂にある高さ約1.9メートルのこの石仏は、万治元年(1658)に念仏講の人々が、「この世」と「あの世」の安楽を願い造立したものです。

通称「目疾地蔵(めやみじぞう)」と呼ばれ、この地蔵尊の目に味噌をぬって願をかけると眼病がなおるといわれ、多くの人々の信仰を集めています。

六地蔵石仏(ろくじぞうせきぶつ) 市指定文化財

写真:六地蔵

六地蔵は、六道〔地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天〕のそれぞれにあって、民衆の苦悩を救済する姿を現しています。

三学院地蔵堂にあるこの六地蔵は、寛文から元禄年間(1661~1704)頃の造立と考えられています。基礎の上に蓮台と地蔵菩薩を丸彫りにしており、蕨市内で最大・最古の六地蔵です。

梵字馬頭観音塔(ぼんじばとうかんのんとう) 市指定文化財

写真:梵字馬頭観音塔

三学院総門前にあるこの石塔は、寛政12年(1800)に蕨宿の小宮忠太郎ら馬持講中が、馬の供養のために造立したものです。

正面には梵字で「南無馬頭観音」と刻まれ、基礎には馬の姿が線刻されています。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)<宝永2年銘> 市指定文化財

写真:宝篋印塔<宝永2年銘>

三学院境内にあるこの石塔は、三学院の住職であった秀鑁(しゅうばん)が願主となり、宝永2年(1705)に造立されたもので、高さ約4mの非常に大型の石塔です。

塔身には金剛界四仏の種子が刻まれ、裏面上部に奉籠孔(ほうろうこう)があります。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、本来は宝篋印陀羅尼(だらに)の経文を納めたものであったため、基礎には「宝篋印陀羅尼経曰…」と刻まれています。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)〈寛政9年銘〉 市指定文化財

写真:宝篋印塔(ほうきょういんとう)〈寛政9年銘〉

三学院境内にあるこの石塔は、寛政9年(1797)に蕨宿の町田氏が造立したものです。基礎に「唐獅子」が浮き彫りにされ、笠の隅には風鐸(ふうたく)の青銅の金具が残されています。

阿弥陀一尊画像板碑(あみだいっそんがぞういたび) 市指定文化財

写真:阿弥陀一尊画像板碑

板碑は、鎌倉時代中期から戦国時代末期にかけてさかんに造立された供養塔婆です。

埼玉県内では、秩父地方や小川地方で産出される緑泥片岩(りょくでいへんがん)を用いたものが多く、県内では約2万基の板碑が確認されています。

三学院境内にあるこの板碑は、文明13年(1481)の銘があり、蕨市内で唯一の画像で本尊を表した板碑です。
緑泥片岩製で、中央上部に阿弥陀如来・天蓋・蓮座などが線刻されています。

この板碑は、彦三郎ら11人が結衆し、全員の逆修〔ぎゃくしゅ:生きているうちに自分の死後の冥福を祈る仏事〕を願って造立したものです。

木食観正塔(もくじきかんしょうとう) 市指定文化財

写真:木食観正塔

三学院境内にあるこの石塔は、文政4年(1821)に造立されたもので、高さ約2.8メートルの大型の石塔です。

塔身には、真言宗の中心仏である胎蔵界大日如来の種子が刻まれ、基礎上段の正面には、「木食観正」と大きく刻まれています。

木食観正(1754~1829)は、米穀断ちをして厳しい修行をした僧侶で、文政3年(1820)3月1日に蕨を訪れており、これを契機として、この石塔が造立されたと考えられます。

三学院の藤 市指定文化財

写真:三学院の藤 市指定文化財

樹齢は不明ですが、根回り約3.5m、幹回り約3.5m、棚面積約395平方メートルの大きな藤です。

枝葉の伸びは旺盛で、樹形のバランスも良く、5月頃花の見ごろを迎えます。

〔※通常は公開していませんが、花の季節のみ限定公開〕

蕨宿関係墓石群

写真:蕨宿関係墓石群

この墓石群は、蕨宿の本陣を代々勤めた「加兵衛家」と「五郎兵衛家」、脇本陣を勤めた「新蔵家」などのものです。

写真の正面左手前の列が本陣「加兵衛家」と脇本陣「新蔵家」、正面の列が「五郎兵衛家」の墓石群です。

木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう) 市指定文化財

写真:阿弥陀如来坐像

三学院の阿弥陀堂に安置されたこの仏像は、平安時代末期に造立された像高約52センチメートルの割矧ぎ造りの坐像です。
定朝様の典型作であり、中央(畿内)で造立されたものとみられます。

所伝は明らかではありませんが、当地における藤原彫刻の数少ない例であり、造形も美しく貴重なものです。

〔※一般公開はしていません〕

石川直中墓碑及び墓碑建設寄附連名碑 中山保治頌徳碑 市指定文化財

写真:石川直中墓碑及び墓碑建設寄附連名碑 中山保治頌徳碑


三学院の仁王門の南に続く塀の外側に、他の石造品とともに一直線に並んで建てられています。
3基の石碑は、2名の教育者の事績や人となりを伝えるのみでなく、地域教育の形式と教師と学童との人としてのつながりを知ることが出来る、大変貴重な資料となっています。


 

 

【写真】石川直中墓碑
【石川直中墓碑】
総高146.0センチメートル。正面中央に楷書で「成蹊石川直中之墓」、右下に「泥舟精一書」とあり、題字は高橋泥舟の筆であることがわかります。
また、背面にはその功績が刻まれ、「明治廿四年三月廿七日 野田正輝撰并書」とあり、明治24年(1891)3月に建立され、碑文は野田正輝の撰と書であることが読み取れます。
【写真】墓碑建設寄附連名碑
【墓碑建設寄附連名碑】
高さ57センチメートル。正面に「墓碑建設寄附連名」と横書きし、岡田正康以下82名の寄附者の連名が、背面には「幹事 板倉治兵ヱ」と刻まれています。
写真:中山保治頌徳碑
【中山保治頌徳碑】
総高203.0センチメートル。上部に「中山先生之碑」と陽刻。その題額は東京府知事で貴族院議員の千家尊福であり、以下に中山保治の事績が詳細に刻まれています。

紙本著色釈迦涅槃図(しほんちゃくしょく しゃかねはんず) 市指定文化財

写真:紙本著色釈迦涅槃図

画面サイズ:縦194センチメートル、横127.8センチメートル。掛幅装。
江戸時代中期。作者不明。

涅槃図とは、釈迦が入滅(亡くなること)するときの様子を描いた仏画です。
三学院所蔵の涅槃図は、画面中央に、釈迦が北枕で西方浄土を向いて横たわり、その周囲を菩薩や俗人、禽獣などが取り囲んで悲嘆にくれる様が描かれています。

画面には余白がほとんどなく、全体の統制が非常によく取れた作品です。
菩薩や天部たちの悲嘆の表情が巧みに描かれており、実在する動物たちは非常に写実性が高いものとなっています。
三学院では、釈迦入滅の日とされる、2月15日に本堂に掲げています。

〔※一般公開はしていません〕

紙本著色地獄変相図(しほんちゃくしょく じごくへんぞうず) 市指定文化財

写真:紙本著色地獄変相図

画面サイズ:右幅は縦130センチメートル、横115センチメートル。
 左幅は縦130センチメートル、横114センチメートル。 二幅一対。
江戸時代後期。作者不明。

三学院所蔵の地獄変相図は、右幅上部から左幅上部へ結ぶように地獄の様相が描かれています。
亡者が閻魔大王の裁きを受けた後、血の池地獄や釜茹でに遭う焦熱地獄、飢餓、賽の河原などで刑罰を受け、最後は阿弥陀如来三尊来迎のもとに極楽浄土が叶う図となっています。


教えを説く絵解きの教材として使用され、恐怖感を表現する中にも鬼や亡者の表情がコミカルに描かれた戯画的表現が特徴の作品です。


三学院では、春と秋のお彼岸の時期に本堂に掲げています。

〔※一般公開はしていません〕

宋版大般若波羅蜜多経(そうはん だいはんにゃはらみったきょう) 市指定文化財

写真:宋版大般若波羅蜜多経

巻10・巻36・巻179の3帖。鎌倉時代。
大般若波羅蜜多経は600巻からなり、玄奘三蔵が漢訳、編纂した経典で、400巻が直接漢訳したもの、200巻は編纂したものとされています。

三学院には3巻が現存しており、その内、巻179には建保3年(1215)11月の年号が記されています。
鎌倉時代の年号が記された史料は、蕨市内には他に例がなく、非常に貴重な史料となっています。

また、「将門末孫右兵衛尉平朝臣常重」とあることから、鎌倉時代に千葉氏の一族が寄進ないし真読などを行ったと推測されます。

〔※一般公開はしていません〕

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