トップページ > 各課・市内公共施設 > 教育部 歴史民俗資料館 > 文化財 > 蕨見どころ案内(北町地区)

蕨見どころ案内(北町地区)

最終更新日:2016年3月16日

三学院  所在地:蕨市北町3-2

 三学院は、京都の新義真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん)の末寺で、金亀山(こんきさん)極楽寺三学院といいます。

 創立年代は不明ですが、本尊の木造十一面観音菩薩立像が平安時代後期の作であることや、他に現存する資料から中世以前の創建と考えられています。

 天正19年(1591)には、徳川家康より、寺領20石を寄進する旨の朱印状が授与されており、以後徳川歴代将軍からも同様の朱印状が与えられています。

 また、三学院は、足立坂東三十三箇寺の20番、北足立八十八箇所の30番にあたる札所としても知られています。

木造十一面観音菩薩立像
 

木造十一面観音菩薩立像(もくぞうじゅういちめんかんのんぼさつりつぞう)
◎市指定文化財
 

 三学院の本尊であるこの仏像は、像高約1.8メートル、一木造。怒り肩をしていること、裳(もすそ)の魚の尾ひれ状の表現などから、平安時代後期の造立と考えられています。
 なお、頭部と足先などは、江戸時代中期の後補で、享保10年(1725)の蕨宿の大火により、三学院が焼失したこととの関連が推測されています。

〔※秘仏のため一般公開はしていません〕

徳川将軍家朱印状
 

徳川将軍家朱印状(とくがわしょうぐんけしゅいんじょう)
◎市指定文化財
 

 三学院は、天正19年(1591)に徳川家康より寺領20石を寄進する旨の朱印状が授与されています。以後徳川歴代将軍からも同様の朱印状が与えられ、12通すべての朱印状が現存しています。

(なお、6代・7代・15代将軍の朱印状は、将軍在職期間の関係から発給されていません。)

〔※一般公開はしていませんが、歴史民俗資料館で徳川家康朱印状の複製品を展示しています〕

子育地蔵
 

子育地蔵(こそだてじぞう)
◎市指定文化財
 

 三学院地蔵堂にあるこの地蔵尊は、元禄7年(1694)に三学院の住職であった秀鑁(しゅうばん)が中心となり造立された高さ約2.4メートルの石像立像仏です。
 
 火伏せ・子育て・開運を願う人々から現在も信仰されており、毎月四の日には、地蔵の縁日が開かれています。

地蔵石仏<目疾地蔵>

地蔵石仏(じぞうせきぶつ)<目疾地蔵>
◎市指定文化財
 

 三学院地蔵堂にある高さ約1.9メートルのこの石仏は、万治元年(1658)に念仏講の人々が、「この世」と「あの世」の安楽を願い造立したものです。

 通称「目疾地蔵(めやみじぞう)」と呼ばれ、この地蔵尊の目に味噌をぬって願をかけると眼病がなおるといわれ、多くの人々の信仰を集めています。

六地蔵石仏

六地蔵石仏(ろくじぞうせきぶつ)
◎市指定文化財
 

 六地蔵は、六道〔地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天〕のそれぞれにあって、民衆の苦悩を救済する姿を現しています。
 
 三学院地蔵堂にあるこの六地蔵は、寛文から元禄年間(1661〜1704)頃の造立と考えられています。基礎の上に蓮台と地蔵菩薩を丸彫りにしており、蕨市内で最大・最古の六地蔵です。

梵字馬頭観音塔

梵字馬頭観音塔(ぼんじばとうかんのんとう)
◎市指定文化財
 

 三学院総門前にあるこの石塔は、寛政12年(1800)に蕨宿で使われる伝馬の安全を願って、蕨宿の小宮忠太郎らの馬持講中により造立されたものです。

 正面には梵字で「南無馬頭観音」と刻まれ、基礎には馬の全形が線刻されています。

宝篋印塔<宝永2年銘>

宝篋印塔(ほうきょういんとう) <宝永2年銘>
◎市指定文化財
 

 三学院境内にあるこの石塔は、三学院の住職であった秀鑁(しゅうばん)が願主となり、宝永2年(1705)に造立されたもので、高さ約4mの非常に大型の石塔です。
 
 塔身には金剛界四仏の種子が刻まれ、裏面上部に奉籠孔(ほうろうこう)があります。
 
 宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、本来は宝篋印陀羅尼(だらに)の経文を納めたものですが、後には供養塔や墓碑として造立されるようになりました。

宝篋印塔<寛政9年銘>

宝篋印塔(ほうきょういんとう) <寛政9年銘>
◎市指定文化財
 

 三学院境内にあるこの石塔は、寛政9年(1797)に蕨宿の町田氏が造立したもので、基礎に「唐獅子」が浮き彫りにされ、笠の隅には風鐸(ふうたく)の青銅の金具が残されています。

阿弥陀一尊画像板碑

阿弥陀一尊画像板碑(あみだいっそんがぞういたび)
◎市指定文化財
 

 板碑は、鎌倉時代中期から戦国時代末期にかけて造立された供養塔婆です。

 埼玉県内では、秩父地方や小川地方で産出される緑泥片岩(りょくでいへんがん)を用いたものが多く、県内では約2万基の板碑が確認されています。

 三学院境内にあるこの板碑は、文明13年(1481)の銘があり、蕨市内で唯一の画像で本尊を表した板碑です。
 緑泥片岩製で、中央上部に阿弥陀如来・天蓋・蓮座などが線刻されています。
 
 この板碑は、彦三郎ら11人が結衆し、全員の逆修〔ぎゃくしゅ:生きているうちに自分の死後の冥福を祈る仏事〕を願って造立したものです。

 〔※一般公開はしていませんが、歴史民俗資料館で複製品を展示しています〕

木食観正塔

木食観正塔(もくじきかんしょうとう)
◎市指定文化財
 

 三学院境内にあるこの石塔は、文政4年(1821)に造立されたもので、高さ約2.8メートルの大型の石塔です。

 塔身には、真言宗の中心仏である胎蔵界大日如来の種子が刻まれ、基礎上段の正面には、「木食観正」と大きく刻まれています。

 木食観正(1754〜1829)は、米穀断ちをして厳しい修行をした僧侶で、文政3年(1820)3月1日に蕨を訪れており、これを契機として、この石塔が造立されたと考えられます。 

三学院の藤

三学院の藤
◎市指定文化財

 三学院の藤は、同院敷地内にある和光幼稚園の庭に生育しています。

 樹齢は不明ですが、根回り約3.5m、幹回り約3.5m、棚面積約395平方メートルの大きな藤です。

 枝葉の伸びは旺盛で、樹形のバランスも良く、5月頃花の見ごろを迎えます。

〔※通常は公開していませんが、花の季節のみ、限定公開〕
 

蕨宿関係墓石群

蕨宿関係墓石群

 この墓石群は、蕨宿の本陣を代々勤めた「加兵衛家」と「五郎兵衛家」、脇本陣を勤めた「新蔵家」などのものです。

 写真の正面左手前の列が本陣「加兵衛家」と脇本陣「新蔵家」、正面の列が「五郎兵衛家」の墓石群です。

石川直中墓碑

石川直中墓碑

 石川直中は天保7年(1836)、江戸の生まれ。江戸幕府の学校である昌平坂の学問所の儒官をつとめました。

 明治3年(1870)、蕨で小学校設立の準備が始まると教師として迎えられ、開校した蕨郷学校では漢学を教えていました。

 明治4年(1871)には当時の浦和県の郷学校の開設準備にも携わり、その開校と共に教授を兼任しました。また、明治15年(1882)、現在の蕨市立北小学校の場所に顕神(けんしん)学校が開校すると、校長に就任しました。

 蕨地域の近代学校教育の基礎を築いた石川直中は、明治23年(1890)、55歳でその生涯を閉じました。三学院墓地内に墓碑が建立されています。

 
三学院阿弥陀02

木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)
◎市指定文化財

 三学院の阿弥陀堂に安置されたこの仏像は、平安時代末期に造立された像高約52センチメートルの割矧ぎ造りの坐像です。定朝様の典型作であり、中央(畿内)で造立されたものとみられます。

 所伝は明らかではありませんが、当地における藤原彫刻の数少ない例であり、造形も美しく貴重なものです。

〔※一般公開はしていません〕

 

一本杉塚 市指定文化財  所在地:蕨市北町1−20

 この塚は、金子塚・兜塚(かぶとづか)とも呼ばれ、蕨を開拓した金子氏ゆかりの塚、蕨城主渋川氏関係の戦死者を葬った塚、蕨宿の鬼門除けの塚などといわれています。

 この塚には枯木となった杉が立っており、この杉にちなんで「一本杉塚」と呼ばれています。

 昭和41年(1966)には、「一本杉塚保存会」が設立され、会員の皆様により清掃活動が自主的に行われ、保存・管理がなされています。

このページへのお問い合わせ先

教育部 歴史民俗資料館
郵便番号:335-0004
住所:蕨市中央5-17-22
電話:048-432-2477
E-mail:rekimin@city.warabi.saitama.jp

蕨市のホームページをより充実させるために、皆さんの声をお聞かせください。

このページの情報は役に立ちましたか?
このページの情報は見やすいですか?
このページに対するご意見等をお聞かせください。

役に立った、見づらいといった具体的な理由を記入してください。なお、頂いたご意見等への回答は、致しませんのでご了承ください。

このアンケートフォームは暗号化に対応していないため、個人情報等は入力しないでください。