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蕨見どころ案内(中央地区)

最終更新日:2017年3月11日

蕨城跡 ◎県指定文化財   所在地:蕨市中央4-21

蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を構えたことに始まり、大永4年(1524)頃、北条氏綱(うじつな)に攻められ落城、
永禄10年(1567)の上総国三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われています。
江戸時代の始めには、徳川将軍家の鷹狩用の休憩地の「御殿(ごてん)」として、蕨城の跡地が利用されました。

現在は、緑豊かな「蕨城址公園」として整備され、市民の憩いの場となっています。

成人式発祥の地記念像 所在地:蕨市中央4-21

蕨市は、全国に先駆けて成人式を行った地として有名です。昭和21年(1946)11月22日に、
敗戦のため虚脱状態にあった若者たちを励まそうと、蕨町青年団が中心となり、「成年式(せいねんしき)」
の名称で, 現在の市立北小学校で行なわれました。
昭和23年(1948)には、「成人の日」として国民の祝日になりましたが、現在でも蕨市では、
「成年式」の名称で20歳の祝典を開催しています。

蕨城址公園内にある「成年式発祥の地記念像」(作:入江 勇)は、昭和54年(1979)1月15日に建立されました。

和楽備神社 所在地:蕨市中央4-20

和楽備(わらび)神社の名称は、明治44年(1911)に蕨町内にあった18の鎮守社を合祀(ごうし)した際に名付けられました。
合祀以前は、「上の宮」と呼ばれた「八幡社」が鎮座し、蕨を所領とした渋川氏が蕨城の守護神として勧請したと伝えられています。
祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)・素盞鳴命(すさのおのみこと)・木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)他。

例大祭は毎年10月15日で、各町会から神輿が繰り出し盛大に行なわれています。〔現在は、10月15日前後の日曜日に行なわれています〕
また、12月17日には「酉の市」が行なわれ、縁起物の熊手を売る店が立ち並び、多くの人々で賑わいます。
木造八幡騎馬像

木造八幡騎馬像(もくぞうはちまんきばぞう) ◎市指定文化財

和楽備神社本殿にあるこの像は、和楽備神社のご神体です。もとは同社の前身である「八幡社」のご神体でした。

像は、寄木造、岩座上の白馬に騎乗する束帯(そくたい)姿の彩色された八幡像で、写実性に富み、造形的にも大変すぐれています。

〔※一般公開はしていません〕

木造僧形八幡立像

木造僧形八幡立像(もくぞうそうぎょうはちまんりつぞう) ◎市指定文化財

和楽備神社本殿にあるこの像は、同社の前身である「八幡社」のご神体でした。

像の頭・体の幹部は4枚の板を重ねた造りで、全体が彩色されています。また、着衣の上に袈裟(けさ)を
まとい、頭部は剃髪(ていはつ)とし、僧形八幡の形式を示しています。

この神像の胎内と台座には、天正11年(1583)の墨書銘があり、蕨城の一角を占める「八幡社」に安置されていたことから、蕨城との関係が推測されます。

〔※一般公開はしていません]

水盤
水盤(すいばん) ◎市指定文化財

この水盤は、和楽備神社正面の鳥居左側の水屋内に置かれています。

安山岩製で、もとは東京上野の寛永寺にあったものだといわれています。大型で四隅を入隅式とし、
水穴も外形に合わせて成形するなどの様式から、江戸時代初期の製作と思われます。
宝篋印塔<享和元年銘>
宝篋印塔<享和元年銘>(ほうきょういんとう) ◎市指定文化財

和楽備神社境内にあるこの石塔は、享和元年(1801)、蕨宿の町田氏が敷石供養のために造立したもので、基礎には「麒麟(きりん)」「飛点(ひてん)」などが線刻されています。

もとは、三学院の末寺で「八幡社」の別当を務めていた成就院(じょうじゅいん)にあったものですが、明治4年(1871)の成就院の廃寺にともない現在地に移されました。
天神社

天神社本殿(てんじんしゃほんでん) ◎市指定文化財

天神社本殿は、和楽備神社境内に鎮座しています。

一間社流造り、屋根はこけら葺き形銅版葺き、 蟇股(かえるまた:社寺建築で荷重を支えるための部材)や長押(なげし:柱と柱をつなぐ水平材)の形などから、江戸時代前期の建築物だと思われます。

稲荷社
稲荷社本殿(いなりしゃほんでん)  ◎市指定文化財

稲荷社本殿は、和楽備神社境内に鎮座しています。

和楽備神社の前身である八幡社の本殿であったものを、末社稲荷社本殿とし、現在地に移転したものです。一間社流造り、屋根はこけら葺き形銅版葺き、 蟇股(かえるまた:社寺建築で荷重を支えるための部材)、肘木の絵様などから、江戸時代中期の建築物だと思われます。

蕨本陣跡 ◎市指定文化財  所在地:蕨市中央5-17

本陣は、宿場に設けられた参勤交代の大名や公家など貴人の休泊所で、庶民は利用することができませんでした。

蕨宿の本陣は、加兵衛家と五郎兵衛家の2家が代々勤め、蕨宿の中央部に向かい合うようにして建っていました。
加兵衛本陣には、老中水野忠邦や松平加賀守、皇女和宮(かずのみや)などが休泊し、
明治元年(1868)と同3年(1870)には明治天皇も大宮氷川神社行幸の途中に休憩しています。

現在、加兵衛本陣の敷地の一部にモニュメントを建設、「蕨本陣跡」として公開しています。

長泉院梵鐘 ◎市指定文化財  所在地:蕨市中央5-13

甘露山長泉院(かんろさんちょうせんいん)は、真言律宗、東京都湯島の霊雲寺派に属する寺院で、
宝暦3年(1753)に創建されました。本尊は大威徳明王(だいいとくみょうおう)。檀家をもたない祈願寺です。

長泉院の梵鐘(ぼんしょう)は、宝暦8年(1758)に江戸神田鍛冶町の小幡内匠によって作られたもので、
江戸時代の名鐘の1つに数えられています。
この梵鐘の特徴として、「乳(にゅう)をもたず、かわりに梵字が鋳出されている」「撞座(つきざ)を
4個持っている(普通は2個)」「撞座の中央に梵字が鋳出されている」ことなどがあげられ、戦時中の金属
供出も免除となりました。
音色も美しく、円実という沙弥(しゃみ)が創建したことから、「おしゃみの鐘」と呼ばれています。

〔※長泉院の鐘楼は境内からの見学はできますが、本堂の屋上にあるため本堂内部からの見学はできません〕

渋川公墓(宝樹院) ◎市指定文化財  所在地:蕨市中央2-10

金峯山宝樹院(きんぷさん ほうじゅいん)は、渋川氏を開基とする臨済宗の寺院です。
川口市芝の長徳寺の末寺で、本尊は地蔵菩薩を祀っています。
創建年代は明らかではありませんが、観応3年(1352)には蕨郷が渋川氏の所領であったことから、
それ以前の創建と考えられます。

宝樹院にあるこの石碑は、永禄10年(1567)に上総国三舟山合戦で敗死した渋川公と、
その死を悲しみ群馬県の榛名湖(はるなこ)に入水(じゅすい)した夫人とを祀ったものです。
この石碑は、渋川公夫妻の250年忌にあたる、文化13年(1816)に渋川氏家臣の子孫たちにより造立されました。

歴史民俗資料館分館 所在地:蕨市中央5-19-3

明治時代に織物の買継商をしていた家を、分館として公開しています。建物は、木造平屋寄棟造り。
中山道に面した店舗の部分は、明治20年(1887)に建てられたものです。
【利用案内】
○電話 お問い合わせは歴史民俗資料館までお願いいたします。(048-432-2477)
○開館時間 午前10時〜午後4時
○休館日 月曜日(月曜日が休日の場合は火曜日も休館)、国民の祝日(4月29日、11月3日を除く)、年末年始(12月29日〜1月3日)
○入館料 無料

機織図絵馬 ◎市指定文化財  所在地:蕨市中央5-17

この絵馬は、明治35年に蕨町(当時)内の機屋が商売繁盛を願って奉納したものです。

画面を4分割し、糸染めから製織、織物の製品検査・販売までの作業工程を描いています。
画面を分割して作業工程を詳細に描いた絵馬は、現在のところ埼玉県内では確認されておらず、
大変珍しいものといえます。

この絵馬に描かれた作業風景から、明治時代中頃には高機の製織能力を向上させたバッタン(飛杼装置)が
蕨周辺に普及していたこと、海外の安価で効率の良い化学染料が色染めに盛んに用いられていたことを読み取る
ことができ、綿織物業で栄えた蕨の歴史を知るうえで、大変貴重な資料です。

また、販売直前の製品検査の描写は非常に珍しいものであり、当時の織物業者の企業努力を知るうえでも
貴重な資料といえます。

〔※一般公開はしていません〕

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このページへのお問い合わせ先

教育部 歴史民俗資料館
郵便番号:335-0004
住所:蕨市中央5-17-22
電話:048-432-2477
E-mail:rekimin@city.warabi.saitama.jp

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